生命体は天からまことにすぐれた幾多の仕組みをあたえられている

 人間という生命体は、霊長属ヒト科に属するだけに高度に発達した生命体であるから、その機能の不全である病気の治療は、患者の精神、食生活面を考慮に入れた全体的視野をバックとして治療が考えられねばならず、医療の対象は病気ではなくて病人なのである。病人に対して健康を取り戻させる愛情、少なくとも正しい職業的使命感をもたぬ医師に対して、患者は生命を委ねたくないであろう。
 薬物にしても制がん剤を例にとれば、ガン細胞の縮小を治癒効果の中心とする考え方は、副作用の必要悪の是認と共に、病気を薬物の対象とした考え方である。薬物が病人を健康人にするものであるならば、転移、再発防止、疼痛・苦痛の緩和、食欲、気分など、総合的に“病人”を対象とすべきは論を待たない。
 私は、人間は天より自己の生命を守る貴重な多くの(もちろん未知なるものを含めて)仕組みと意思の可能性を与えられた存在であると信ずる。病気を治すのは究極的には、病気になっている病人であり、医師も医療のシステムもいかにして患者からこの力を引き出すか、薬物もこの天与の生命の仕組みにどの程度完全にそって働くかが、その価値を決するキー・ポイントではないかと思うのである。
 一物一薬的な思想やそれに立脚した人為的な制度などは、生命の原理にそぐわないため、今やその欠陥は人間そのものを苦しめるに至り、福祉の発展を阻害しているといえる。特に平和的福祉国家を目指し、いろいろな意味において世界の注目を浴びているわが国が、世界のいずれの国にもみられない急激な老齢化社会への道をたどりつつある今日、医療や医薬に対する考え方は、根本的に見直しを迫られているように思われる。
 私は、私のゲルマニウムと生命との関係を考えるとき、生命の仕組みに対する異物とは考えられず、その意味で有機ゲルマニウムは薬ではない。もし、生命体にとって異物であるならば、生命体はたちまちにして拒絶の意思を毒性、副作用として示すであろう。また服用したあとで痛みがなくなるとか、気分が良くなり食欲が増すとか、良質の睡眠が得られるとかいうことは生じないはずである。
 繰り返していうが、生命体は天からまことにすぐれた幾多の仕組みを与えられているのである。(p.18,L.9~p.21,L.1)