君の会社は一会社の私物ではないはずである

 石炭総合研究所は、東京目黒の三井化学研究所の建物の一部を借りて、そこで仕事をしていたのであるが、三井化学自身、研究室の拡張の必要に迫られ、石炭総合研究所の立ち退きを要求することしきりであった。浅井氏も、これには大弱りで、引っ越し先を見つけるのに苦心し、また私のところへ窮状を訴えてきた。
 そこで私は、東京電力の社長をしていた菅礼之助君のことを思い出し、浅井氏を伴って社長室に同君をたずね、何とかならないものだろうか、と相談したところ、同君も大いに気の毒がって、何か考えてみようといってくれた。
(中略)
 浅井氏の説明では、やはり菅氏の骨折りで、川崎にある東京電力の用地のうち、使われていない部分があり、そこに相当巨額の資金を投じて新しい研究所が建てられた由で、研究所の研究機器は別として、中の設備一切も、浅井氏が心配することなしに整えてもらえたといって、涙を流さんばかりに喜んで話してくれた。
(中略)
 浅井氏は、また私にこう言った。
 「私は、菅さんにお目にかかって、心からなるお礼を申し述べた。そして、そのご恩返しに、“東京電力のためになることなら、何でも一生懸命に研究して御用に立てたいと思います”といったところ、菅さんは私に向き直って“君、そんなケチなことは言わないでくれ。君の研究所は一会社の私物ではないはずである。”国家のためになる研究を進めてもらいたいんだ”と言われ、私は本当に頭が下がりました」
 菅君の太っ腹なのには、いつものことであるが、かく言う私も、浅井氏ともども、頭の下がる思いがする。
 (中略)ちなみに、浅井君は昭和三十四年、発明及び新技術開発によって、社会に貢献した功績により、政府より紫綬褒章を授与され、(昭和三十七年)三月に京都大学より工学博士の学位を与えられた。(p.72l.5-p.75、l.14)