ベルリン脱出前冒険談~この人こそ

 ソ連軍がまだベルリンを攻略しない数ヶ月も前から、英米軍の長距離飛行機による爆撃は、ものすごいものがあり、(中略)
 ある日、浅井氏は例により猛烈な敵側の爆撃にあい、自分の住んでいたアパートの地下室に避難した(中略)。「このままじっとしていたのでは、自分たちは焼け死ぬばかりである。しかし、ここに一人の日本人がいる。日本人は非常に勇敢で義に篤い国民と聞いている。われわれは、年寄りと女子供だけでどうすることもできず、ただ死を待つばかりである。日本人よ、どうか屋根裏の火を消してわれわれをたすけてくれまいか」というのであった。
 浅井氏も、これを聞いて大変なことになったとは思ったが、ドイツ婦人たちの切なる願いを無にすることは、この際日本人としての恥であると考え「よろしい、皆さん方のお頼みを引き受けましょう」といい切って屋根に上り、(中略)
 かくして、上からまっすぐ落ちてくる焼夷弾はどうにか消しとめたものの、ほかにも斜めに落ちてくる焼夷弾のあることに気がついた時には、すでに窓を破って入った焼夷弾で三階が燃えだしているのに気がついた。(中略)
 その家から道を隔てて向こう側の地階にドイツの老将軍が住んでいたとのことで、その将軍が、浅井氏の屋上での勇敢な働きぶり、そして四階のバルコニイに飛びつき、ついに路上に落下して気絶したその実況を、つぶさに見ていた(中略)。
 その浅井氏がゲー・ペー・ウーから釈放されて、今、モスコーの日本大使館の一隅で私が会っているのである。南ドイツに避難させていた婦人と子供たちに合流すべく自動車を走らせていたところをソ連軍に追いつかれ、捕えられて、(中略)死刑の宣告でも受けるのかと半分観念していたのを、予想に反して、あなたを拘留したのは間違いだった、まことにお気の毒だったと(中略)、釈放されて、今、日本大使館に送られホッとしたところであるとのことだった。
 そして私と話をしているうちに、この人こそ貴重な研究を身につけた人であり、出来るだけ早く日本に帰してお国のために働いてもらわねばならぬと考え、さっそく手続きを済ませ、シベリア鉄道に乗ってもらうことにした。(p.43、l.1-p.48、l.8)