「創意通天」

 ところで、ガンは死病とされ、どこの病院でも手の施しようがないとされてから、ワラをもつかむ思いでゲルマニウム・クリニックを訪れるので、ほとんどが末期の症状に近い。そのせいか、本人が無理をして相談に来るのもいるが、たいていは病人の息子、娘とか、配偶者がきて、絶望的な話をする。医者から”死の宣告”を受けているのだが、何とか、それをまぬがれたい一心で訴える、その人たちの真剣な顔は、私たちの心を打つのである。

 モンテーニュだったか「死んでしまうのはいやじゃない。死ぬのがいやなのだ」と何かに書いてあったことを記憶しているが、ガンという病気は、病気という概念に入れられないくらい精神的、肉体的苦痛を与え、予感している死を決定的なものにしてしまうものである。

 ゲルマニウムによって、一応、病状が改善され、元気に生活している人は、全部が近代医薬によるガン治療法を避け、自宅でゲルマニウム治療に専念した人々である。肺ガンで死を宣告されて、遺言状まで書き、死ぬなら自宅でと退院した青年が、ゲルマニウムで治って遺言状をクリニックに進呈された例もあった。

 きょう、あすの命が三ヶ月、あるいは一年、二年、長いのは四年というぐあいに延命効果を示した場合もある。そして痛みから解放された状態であるから病人にとっては、命のあることに、心から感謝の念をささげるのである。

 また、亡くなったとはいえ、その死は実に安らかなものであった。瞳孔は開き、呼吸はとまっても、顔はいつまでも生色を失わず、体温も十時間ぐらいあり、硬直もないので、遺族の方々が、納棺をためらったぐらいだった。

 さらに荼毘に付したあと、隠坊(おんぼう)がびっくりするくらい、桜貝のようなきれいな色の骨が、喉仏を中心にがっしりとくずれずに残っているのである。

 私はゲルマニウムの研究に二十数年打ち込んできた。そして、ゲルマニウムが私に教えてくれたことは、まさに<創意通天>であった。(p.164-166)