人々を救けるという自由

 トマス・モアの『ユートピア』の中に、すべての人間が豊かになると、その人々はどうやって人に尽くそうかと考えるようになる、といったようなことが書いてあったのを記憶する。
 一方、わが国の憲法第二十五条には「健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」とある。
 これから解釈を延長すれば、人々に尽くすとか救けるという自由は、一つの人権に属した権利とみてよいのである。(中略) 言葉を裏返せば、そういった人々の健康をとりもどさせ、病気から解放してあげる側にもそれを行う権利があるとも考えられる。
 つまり、人々を救けるという自由は、憲法で保障されているのである。
 なぜこんなことをくどくど述べたかというと、私のゲルマニウムに対して、社会の一部では反発が激しく、その人々の武器は薬事法という法律であって、それに抵触するとして、厚生省や警察に密告するのである。
 密告や訴えがあれば、警察もほうっておけず、私の所へきて訊問するなど、不愉快きわまる事態がたびたびあったが、結局、私は次の三つの理由をあげて、それでも納得できないのならどうぞ起訴してくださいといいきったのである。
 その理由とは、
 一、アサイ・ゲルマニウムは、全く無毒無害で、ただ体内の酸素を豊富にして、ゲルマニウム自体は短時間で体外に出てしまうから、副作用は全くない。
 第一人間の病気は、すべて体内での酸素欠乏からくるのであって、何らかの理由で血液中の酸素が欠乏すると、ガンはじめ種々な病気に罹るのである。

 二、多くの人々から難病が癒えて感謝され、また多くの人から懇願されて頒けたのであって、私の行為は違法性の阻却に該当し、刑罰の対象にはならない。ちょうど安楽死を行った医師が罰せられぬと同じである。

 三、人を救けるというヒューマニズムにもとづく人権の行使であるからである。
(p.173~175)

 要はヒューマニズムの精神で行う限り、種々の妨害や障害は克服できると信じて、日夜ゲルマニウムの研究に没頭しているのである。(p.178,L.8)